年 月 |
出来事 |
その頃の様子 |
昭和9年4月 |
- 児童数960名(16学級)、教職員数16名をもって、東京市月光原尋常小学校として開校する。
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その頃は兄弟も多く、毎年児童数が増え続け、昭和14年には、児童数1411名(24学級)と、歴史の中で一番の大きさになりました。 |
昭和15年7月 |
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たて25メートル、横7メートル、防火用水をかねた深いプールでした。 |
昭和16年 |
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戦争のため、学校の生活も少しずつ変わり、「修身」「国史」「武道」「裁縫」など、今とちがう教科がありました。 |
昭和19年9月 |
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空襲がはげしくなり、いなかにしんせきや知り合いのない子どもたちは、学校でまとまって疎開しました。 |
昭和20年5月 |
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23日夜から24日未明にかけての大空襲で、校舎が全部焼けてしまいました。 |
昭和22年 |
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新しい学校制度ができ、男女共学になりました。 |
昭和23年1月 |
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はじめは、ミルク給食(脱脂粉乳)でした。完全(パン食)給食になったのは、昭和25年9月からです。 |
昭和23年5月 |
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戦争で焼けたあとに仮校舎が建つまで、碑小学校の教室を借りて授業をしていました。 |
昭和28〜30年 |
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戦後、校庭に都営住宅が建っていたため、校庭がありませんでした。 |
昭和39年 |
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昭和39年3月 |
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昭和43〜50年 |
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25メートル×10メートルの今のプールが完成しました。(昭和45年) |
昭和57年11月 |
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平成4年 |
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コンピュータを使っての学習が始まりました。 |
平成5年10月 |
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「聞く、話す」の研究を3年続けました。 |
平成6年1月 |
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平成2年から21年まで、連続20回続けて受賞しています。 |
平成8年11月 |
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5年生と角田市農協青年部の方々との稲作体験交流が始まりました。 |
平成9年1月 |
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「互いに認め合い学び合いながら自己を高める児童の育成」をテーマに生活科・社会科の研究を発表しました。 |
平成9年10月 |
- 月光原タイム 林試の森でのオリエンテーリングが始まる。
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1年生〜6年生までたて割り班を作り、オリエンテーリングを行います。今では、月光原小学校の特色ある活動になっています。 |
平成10年9月 |
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東京都教育委員会の指定を受け、地域の方々の協力のもと、人権尊重を基盤とした教育を発表しました。 |
平成13年9月 |
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月光原小学校のウェブページを開設しました。 |
平成14年11月 |
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「学びのネットワーク力の育成」をテーマに、総合的な学習の時間と各教科の関連を通して取り組んだ平成12年からの教育活動を研究発表しました。 |
平成15年4月 |
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個に応じたきめ細やかな指導方法への改善として少人数指導が始まりました。 |
平成16年10月 |
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宮城県角田市農業振興公社、角田市西根地区の子供会育成会、西根小学校及びPTAの方々のご支援のもと、5年生対象に農業体験交流活動が始まりました。 |
平成17年1月 |
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全校で開校70周年をお祝いしました。 |
平成19年10月 |
- 目黒区教育委員会教育開発推進校(平成17〜19年度)として研究発表を行う。
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「自分の考えをもち、表現する児童の育成」−読みとったことを表現に生かす指導の工夫−を研究主題にかがけ国語科で研究発表を行いました。 |
平成21年 |
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運動会や月光原シアター(学芸会)、記念集会等をとおして開校75周年をお祝いしました。 |
平成22年9月 |
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校庭の人工芝お披露目会を行い、全校児童、保護者、地域の方々と一緒にお祝いをしました。 |
平成23年12月 |
目黒区教育委員会小・中連携カリキュラム等開発校として研究発表をする。 |
「豊かな心をはぐくむ道徳教材の開発と指導法の工夫・改善」を主題として道徳教育の充実を図る研究を推進し発表しました。 |
平成26年4月 |
こども園が開園する。 |
こども園が開園して、同じ校舎での生活が始まる。 |
平成26年11月 |
開校80周年記念式典 |
全校で開校80周年をお祝いしました。 |