1 草青く 雲白く 富士はうるわし この校舎 この桜 大地は広し ここに築き ここに植えて 文化と自然の 溶けあうところ 力は満ちくれ 社会の中に
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2 道直ぐに 友多く 窓はあかるし この努力 この希望 われらは若し ここに励み ここに学び 真理と歴史の 指さすところ 心はわきたつ 世界の前に 正義と愛を 額に胸に かかげて進む 目黒十中
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「校歌」由来・エピソード 昭和25年2月1日に詩人である土岐善麿先生に校歌の歌詞を依頼後、土岐先生は同月27日に十中に来校している。 「草青く、雲白く、富士はうるわし、この校舎、この桜、大地はひろし」の歌詞は、何もなかった大原の台地に建った学舎から清々しい富士が見えた光景を十中への思いとして歌詞に込めたはずだ。 そして、その一ヶ月後の3月1日に作曲家の弘田龍太郎先生に作曲を依頼した初代の太田益次校長の筆による資料が十中校長室にはある。 弘田先生は、歌詞に思いを巡らしながら、清らかで高潔な中にも希望と理想に向かい、真っ直ぐに学び共に励もうとする若者と学校の未来を作曲にしてくれた。 そして、当代屈指の詩人と音楽家の手によって十中生にも卒業生にも誇るべき、素晴らしい校歌となった。 ※ 土岐 善麿は、日本の詩人・歌人・国語学者で、石川啄木と親交があり、また啄木を世に出すことにも努めた。また、国語審議会会長を歴任し、現代国語の基礎の確立に尽くした。生涯86校もの校歌を作詞している。 ※ 弘田 龍太郎は、作曲家。児童雑誌「赤い鳥」では、北原白秋等と組み、多くの童謡を残した。「鯉のぼり」「春よこい」「浜千鳥」など多数の作曲を残した。
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