節目に節を抜く

 終・始業式といえば、学校生活一年間における節目である。学校生活の区切りとなる大切な日だ。目黒区は2期制をとっているので春と秋の2回である。秋の終・始業式の間隔は、わずか3日間である。この3日間で前期の反省をし、課題を見つけるとともに、後期の目標を立てて、計画を練り上げるのである。
 そもそも「節」という言葉は、樹木の成長過程で生じるものをさしていう。特に竹の節は、その驚異的な成長を支える成長点として重要な役割を果たしている。つまり、物事には区切りをつけることが必要で、その区切りごとに成長の糧があると考えると良いだろう。終・始業式につきものの「通知表」は、まさしくこの「糧」にあたる。
 通知表で一番注目を集める項目は、各教科の評定であることに疑いはないであろう。これまでの学習に対する取り組みの成果が数値で表され、その上下に一喜一憂する生徒たちのいかに多いことか。しかし、評定はあくまでもこれまでの結果である。過去を顧みることは必要なことだが、悔やんでばかりでは意味(進歩・成長)がない。竹の節を抜けば、筒になるように、通知票の内容を参考にして、来学期の見通しを立ててもらいたいものである。「節目に節を抜く」が如く、より高い目標を一人一人が設定してくれることを期待している。

 1990年8月 モンブラン(ヨーロッパ)
 1992年12月 キリマンジャロ(アフリカ)
 1992年9月 コジアスコ(オーストラリア)
 1992年12月 アコンカグア(南アメリカ)
 1993年6月 マッキンリー(北アメリカ)
 1994年12月 ヴィンソン・マシフ(南極)
 1996年1月 エルプルス(ヨーロッパ・ロシア)
 1997年5月 チョモランマ(アジア)

これは、1999年25歳で、七大陸最高峰の最年少登頂記録(当時)を達成した登山家の野口健さんが、大学の一芸入試で試験官にプレゼンテーションした内容だという。
 一芸入試であるから学力試験は一切ない。全国各地から一芸に秀でた受験生がやってくる。
「インターハイで優勝しました。」「国際コンクールで入賞しました。」
このとき野口さんは、大きな山(モンブラン、キリマンジャロ)を2つほど登っただけ、登山家として誇れるような実績も腕もなかった。自分の番が来るまで、他の受験生の輝かしい一芸(実績)を散々聴かされた。
「これは自慢だな」
「過去」は確かにすごい。でも、だからどうだというのだろう?試験官も自慢のオンパレードに飽きているように見える。野口さんの番が来た。野口さんは視点を過去でなく、「未来」に向けた。入学後どうなるかを書き出して伝えた。七大陸の最高峰制覇を期限入りで予告した。
 野口さんは、見事合格した。入学後、史上最年少で七大陸の最高峰を制覇した。野口さんによると「自慢組」は落ちたそうだ。野口さんが「ぼくの夢は、七大陸の最高峰をぜーんぶ登ることです。」と目標(夢)を語ったとしたらどうだろう。「へぇー、すごいね。」で終わっていただろう。
 「いつ、なにを、どうする。」野口さんは自分の意思(目標)具体的に語った。目標を設定し、実現の見通しをもつとは、こういうことを言うのだと思う。「合唱コンクールでの優勝を目指します。」「これからは中堅学年としての自覚をもって生活します。」「目標は志望校の合格です。」目標をもつことは必要だが、これでは目標を立てたことにはならない。いかに目標を達成していくか、そこまでしっかりと考えたい。Kata
山田ズーニー著 あなたの話はなぜ「通じない」のか 筑摩書房 を参考にしました。
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