餅つきアラカルト 2

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餅つきアラカルト 1

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餅つき 5

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お餅も豚汁も大繁盛
これだけのことを
企画、立案
そして実現してくださった
オヤジの会、PTA、保護者の皆さんに
地域の方々。
本当にありがとうございました。

その時の画像を
アップしますので
どうぞお楽しみください。

餅つき 4

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次々とつき上がっていく餅を
手際よく丸めていく
ランチルームのお餅部隊。
さすが主婦です。

待っている子どもたちは
餅つきもしたいし
お餅も食べたいし、と
ちょっと悩ましそう。

餅つき 3

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餅をつくその横では
出来立てのお餅が配られている。

小豆餅に醤油餅、
海苔餅にきな粉餅。

知ってるかな?
この他にも裏メニューの
のりたま餅があったのを!

美味しかったぞー、
何て言うと
「ずるーい」と
言われそうだ。

餅つき 2

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大人の
力強く杵を振り下ろすその横で
子どもたちの
餅つきも始まった。

こんな経験、田舎でも
なかなかできなくなったんだよ。
知ってるかな?

餅つき 1

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学校に着くと
もうすでに活気があった。

副校長に聞くと
朝7時頃から用意が
始まったそうだ。

その準備は昨日から。
本当にこの餅つきの方々には
頭が下がる。
ありがたいことだ。

餅米を蒸し、臼や杵を用意し、
部屋では餅の準備部隊に
豚汁部隊。
用意周到だ。

結構難しい

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金曜日、集会があった。

傑作なゲームだ。
フラフープに入って待ち構える
鬼を避けてゴールに向かうのだ。
もちろん、
鬼にさわられたらアウト。
スタートに戻って最初から。

なかなか進めない子が多い中、
やはり誰かが
先人を切る。

それを見て後に続く子が
出てくる。

みんな楽しんでやっている。
集会委員会の人たち、
ありがとう。

26日(金)の登校

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一週間のおしまいは
何となく楽しそうに
登校してくる。

明日がお休みで
ゆっくりできるからか、
どこかに
つれていってもらえるからか。

一人に聞いてみたら
「塾で忙しいんです」と
答えが返ってきた。
失礼しました。

1月26日(金)の給食

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↑すいとんの生地を湯に落としているところ。

・大根めし
・鶏すいとん
・昔のすいとん
・蒸しさつま芋
・牛乳

 今日は、昭和17年の給食を紹介しました。昭和14年から昭和20年の6年間、日本は戦争に突入しました。戦争がはじまってから、食べるものが足りなくなり、給食を続けられないところが多くなってしまいました。またその頃、特に無くなったお米の代わりに大根などの野菜を入れてお腹を膨らませたり、さつま芋だけだったり、小麦粉を水で練って作ったすいとんがよく食べられたということです。はじめはすいとんに野菜を入れることができましたが、戦争の終わり頃は野菜も少しずつ減り、味付けも少しの塩だけになりました。
 終戦を迎え、戦争は終わりましたが、その後も食べものが足りず、その頃の小学6年生の子の体は、栄養不足で今の4年生の子の体と同じくらいだったそうです。今日は、その頃のすいとんと、今のすいとんの食べ比べです。「食べる物が無い」ことを経験したことがない私たちですが、今日はすこしだけ、想像する時間になったらいいなと思います。

主に3年生の子どもたちの給食時間を回りましたが、「どんな味?」「どんな見た目?」「昔(戦争中)と今ではどんな違いがある?」「当時はどうして具が少なかったの?」と、投げかけると、頭に浮かんだ様々な言葉や思いを声に出していました。

主な食材の産地
鶏肉(青森)
大根(神奈川)
人参(埼玉)
白菜(兵庫)
長葱(千葉)
さつま芋(千葉)
生姜(高知)

もしも食べるものが少ない時代だったら・・・

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↑すいとんだけだったかもしれない。
↑さつま芋だけだったかもしれない。
↑大根めしだけだったかもしれない。

そんなことを子どもたちと話しながら給食を食べました。

1月25日(木)の給食

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↑大正12年の給食として記録に残っているのがこのような2つの料理です。
↑きれいな5色の具をごはんに合わせました。

・五色ごはん
・栄養味噌汁
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・葉とらずりんご
・牛乳

大正12年(1923年)、山形県で給食がはじまって34年が経ちました。給食は、子どもたちにとって とても良いものだと認められ、だんだんと日本中に広がっていきました。まだこの頃は、陶磁器の食器が使われており、給食というよりは、家庭でのお昼ごはんのような雰囲気だったようです。
今と比べると、もちろん品数は少ないですが、それでも料理それぞれには野菜や芋、少しの肉など、具だくさんのごはんやみそ汁が出ており、栄養も考えられていました。

主な食材の産地
ちりめんじゃこ(広島)
鶏卵(秋田)
人参(埼玉)
小松菜(埼玉)
ごぼう(青森)
里芋(埼玉)
大根(神奈川)
長葱(千葉)

1月24日(水)の給食

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↑今日の給食
↑最初の給食(明治22年)
↑給食室で握る様子

・塩おにぎり
・鮭の塩焼き
・青菜の漬物
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・具だくさんみそ汁
・牛乳

 「明治22年(1889年)、学校給食を初めて出したのは、今の山形県鶴岡市の小学校だといわれています。家が貧しくて、お弁当を持ってこられない子どもがたくさんいたので、この小学校を建てたお坊さんが、おにぎり・焼き魚・漬け物といった昼ごはんを出していました。みんな、大喜びで食べたそうです。今日は、栄養を考えて具だくさんのみそ汁がありますが、みそ汁と牛乳をおぼんからどかしてみてください。それがはじまりの給食です。今の給食との違いを考えながらいただきましょう。」と、給食委員会の子どもたちがクラスに回って伝えました。

主な食材の産地
鮭(北海道)
小松菜(埼玉)
生姜(高知)
人参(埼玉)
ごぼう(青森)
大根(神奈川)
じゃが芋(長崎)
長葱(千葉)

大縄大会 3

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終了の合図と共にあがる歓声。
いい記録がでたかな。

これだけ夢中になって
取り組めたことが嬉しい。

縄跳び名人の延長に
この大縄大会がある。
教師が力をいれたことは
必ず実を結ぶ。

子どもたちは縄跳びを
本当に楽しみながら
頑張っていた。

学級閉鎖のクラスもあるため
結果は後日発表される。

しばらくお待ちください。

大縄大会 2

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さて、次は
2、4、6年生だ。

おや、
円陣、気合いのクラスもあるぞ。

跳び方を見ていると
そのクラスの作戦なんだろう、
縄を短く使うクラス、
その反対のクラス。
子どもたちが二列で並ぶクラス
一列のクラス。

子どもの実態に合わせ
作戦も様々。
でも、
それだけ本気だということだ。

大縄大会 1

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さすがに全クラス一度には
できないので
最初に1、3、5年が行った。

一年生は、最初
絶対跳べなかったはずだ。
それが見事に跳んでいる。
中には、後ろの子に
押してもらいながら
跳んでる子もいるが
そのタイミングも練習で
習得したのだろう。

子どもはすごい!

本番前も

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校庭に行ってみると
やってるやってる。
本番同様の熱気だ。

ハイ、ハイ、ハイの掛け声が
リズミカルに響いてる。

各クラス
新記録を狙って
まさに最後の練習だ。

25日(木)の登校

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雪は凍ってからが
厄介だ。

門の近くの雪を
片付けようとするのだが
なかなかうまくいかない。
まさに氷だ。

子どもたちは
急ぐ子が多い。
今日は、大縄大会があるから
きっと練習するんだな。

新記録がでるといいな。
がんばれ!

帰りの会

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帰りの会のやり方も
基本的には同じですが
少しずつ違います。

連絡帳は書かせますよね。
先生からのお話も
当然あります。

でも、あるクラスでは
なぞなぞをやってました。

いろんな方法が
子どもたちの個性にも
繋がっていきます。

初めての跳び箱

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1年生が
初めての跳び箱を
やっていました。

先生いわく、
安全第一、
楽しいと思わせること、
そして、段階を踏むこと。

確かにその通り。
授業後の感想でも
怖いと思った人は
いなかったね。
すごい!
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