☆〜愛はぐくむ駒場小学校の子どもたちの様子をお届けします〜☆

こまばの先生より(21)

 今日は「こどもの日」
 おうちですごす「こどもの日」
 昨夜、「緊急事態宣言(きんきゅうじたいせんげん)」が延びることになって、もう少しがまんをしなければいけないことになってしまいました。でも、来週は少しだけみなさんに会えるかなと思っています。

 みなさんに会いたい気持ちからか、このゴールデンウィーク、ふと昨年の開校85周年のことを思い起こしました。(1年生のみなさん、入学前の話でごめんなさい)
 航空写真のこと、みんなでお祝いした記念集会のこと、夢と希望を乗せて青空に舞い上がっていくバルーン……。
 記念誌を開いてみると、6ページに学校の歴史が載っています。わたしは歴史が大好きで、年表をながめながら、「このころの駒場の様子ってどんなだったのだろう」と想像が広がってきました。明治の時代が始まったころ、開校のころ、戦争があったころ、今の校舎ができたころ……。

 たとえば、みなさんは今から55年前(開校30周年のころ=前の東京オリンピックの翌年)、「駒場東大前駅」が2つの駅を一緒にしてできたこと、知っていましたか?
 井の頭線ができたときには、今の駅より渋谷寄りの踏切近くに「東駒場駅」(その後に一高前駅→東大前駅)、学校の近くの踏切のところに「西駒場駅」(後に駒場駅)がありました。それまでの2両編成だった電車を5両に増やすときに、2つの駅が近すぎたこともあって1つにして、今の「駒場東大前駅」になりました。(このころ隣の神泉駅のホームには電車が全部は入りきれず、ドアを開けない車両があったそうです)
 3枚目の写真は、学校近くの踏切で撮りました。線路の向こう側に昔の「駒場駅」のホームの跡が残っています。
 他にも、井の頭線を吉祥寺から先、西武線の田無や東久留米まで伸ばす計画があったこととか、その昔、幻の「第二山手線計画」があったことなど、調べ始めるとキリがなくなって朝になってしまいました。

 6年生になると、社会科で歴史の学習をします。昔あった歴史的な出来事がその後の世の中にどう影響したか、今は便利になっている身近なくらしも昔からどう変わってきたのかなど、そんな見方、考え方をしながら歴史を学んでいくことって、とっても楽しいのではないかな……歴史好きのわたしはそんなふうに思っています。

 みなさんとまた一緒に勉強できる日は、もうすぐ必ず来ます。
 それまでもう少しの間……
 みんなのいのちを、大切な人を守るためにSTAY HOME!
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